卒業生の声

社会で活躍されている卒業生・修了生の活動を紹介します。

No.47 宮本 洋志 MIYAMOTO, Hiroshi
書家



生命環境科学研究科 情報生物科学専攻
2003年 筑波大学 第二学群 生物学類 卒業
2007年 筑波大学 大学院 生命環境科学研究科 情報生物科学専攻 修了     博士(理学)
高等学校教諭などを経て、現職(https://miyah54.wixsite.com/miyah

 

博士と書家

つくばの地を離れて15年も経った今、SNSをきっかけに本稿の執筆依頼をいただき、思いがけない出来事もあるものだなあと感じています。
私は、博士(理学)であり、書家です。人の経歴はそれぞれに独特で、比較してどうこうするものではないですが、珍しい例なのだろうとは思います。私自身も、大学に入学した頃は、博士課程まで進むこと、ましてやいま書の作品制作をしていることなど、想像もしていませんでした。

高校の先生になりたい

高校生の私は、学校の先生になりたいと思っていました。今思えば、子どもの頃から書道教室に通い、高校では書道部だったので、書道の先生を目指す道もあったのでしょうが、当時は書道はあくまで趣味、高3までで終わりと決めていました。目指したのは、理科の先生です。子どもの頃から理科が大好きでしたが、高校の理科の中で一番面白かったのは生物でした。私は特別に生きものが好きというわけではなかった(むしろムシは嫌いだった)のですが、当時はクローン羊ドリーの誕生があったりして、遺伝子すごい、遺伝子のことが分かれば生物のことはすべてわかるんだ、くらいに思っていたのです。

生物学類そして大学院へ

かくして、高校の理科教員を夢見ながら、生物学類に入学しました。入学してみると、授業も実験も本当に楽しくて夢中になりました。特に下田臨海実験センターや菅平高原実験センター(現 山岳科学センター菅平高原実験所)での実習はよく覚えています。何しろ虫捕りさえもあまりせず、生き物図鑑を愛読していたわけでもない私は、生き物の世界はこんなにも多様なのだと、この時初めて知ったのです。また、同級生からも本当にたくさんの刺激を受けました。ひと口に生物学に興味があるといっても、その向かう先はまさに十人十色で、私なら見過ごしてしまうようなところに強い興味を持つ人がいたりして、友人たちとの会話は飽きることがありませんでした。それまで特定の生きものが好きというわけではなかった私も、そんな周囲に感化されて、自宅に数冊の菌類図鑑を備える立派なキノコ好きになりました。休日には学内の林に這いつくばってキノコの写真をせっせと撮っていたものです。学類4年生から大学院にかけては、山岸宏先生の指導のもと、フナムシなどの甲殻類の心臓について研究しました。当初は修士を取ったら高校の先生になるつもりでしたが、幸運にも「フナムシの心臓そのものが光に反応する」という大きな発見をすることができ、博士課程まで研究を続けることにしました。ただ、それでも、研究者になろうとは思いませんでした。自分にはそれだけの才能がないと思ったし、そこに飛び込む勇気もなかったからです。博士号を取得して、私は高校教員になりました。

教員から書家へ

教員の仕事は、大学院での経験を活かすことができ、十分にやりがいを感じられるものでした。教員を目指して大学に入り、実際に教員になったのですから、これはとてもよい結末です。ところが、ここがゴールではありませんでした。
実は、働くようになって驚いたことがひとつありました。それは「夜、家にいる」ことです。それまでは夜遅くまで実験室にいたのに、6時や7時には家に帰ってきてしまう(職場に恵まれたのです)。これは新鮮な驚きでした。この時間を持て余した私が思い出したのが、書道が好きだったこと。もう一度書道を始めようと、近くの書道教室の門を叩きました。こうして現在の書の師と出会ったのが転機となり(縁に恵まれたのです)、初めは趣味のつもりだったものがみるみるうちに書にのめり込み、筆と墨で表現することの魅力にとりつかれ、現在、作品を制作・発表しながら書道教室を主宰するに至っています。

「役に立つ」こと

学生時代、「研究が役に立つこと」について考えることが度々ありました。「その研究は何の役に立つの?」フナムシを材料に研究する私は、この問いにどう答えたらよいでしょうか。フナムシの心臓の研究は、たぶん人の役には立ちません。けれども、自然についての人類の理解を、わずかかもしれないけれど一歩前に進めることができます。今までわからなかったことがわかるようになって、自然に興味を持つ人々がその知識を共有できること、これ自体に価値がある。当時も今も私はこう考えています。そして、これは芸術と似ているようにも思います。音楽も絵画も彫刻も、もちろん書も、人の役には立ちません。芸術は病気を治さないし、便利な機械もつくらないし、社会問題も解決しない。けれども、だからと言って、芸術はいらない、芸術は無価値、とはならないでしょう。それを好きな人がいて、それに心を揺さぶられて、ああ!と感嘆する。そこに価値がある。書の作品をつくっている今も、この思いは持ち続けています。私の作品が誰かの心を動かすと信じて、これからも作品を書き続けます。

「無有」2023年 独立選抜書展(書家 宮本洋志)

つくばで身につけたことが、今につながっている

博士号を取ったのに、研究職に就かない。私自身は、そこに何の違和感もありません。大学や大学院は、必ずしも職業と直結するべきものではないし、そこで身につけた能力が発揮される機会は、特定の職業に限られるわけではないからです。私の場合は、学生時代に科学とは何か、科学的に正しいとはどういうことか、科学の価値は何か、などに考えを巡らせて、たくさん本を読んだりしたことが、実は現在の創作活動の動機に深いところでつながっています。これは、私にとってとても大切なものです。また、今の私の趣味は科学です。生物へ興味は失っていないので、学会にも所属したままです。興味のある論文はネットで検索し、近くの大学の図書館で読んだりもします。科学の話題に触れることは、私の人生を豊かにしてくれますし、研究を通して培った科学的な考え方は、私をとても生きやすくしてくれています。

学生のみなさんへ

学生時代の経験は、いつかどこかで自分を助けてくれることで溢れています。気になることはじっくり調べて考えて、興味のあることは積極的にたくさん体験して、未来の自分のための土台を豊かに築いてください。どんなことも無駄になることはないし、思いがけないことが、未来のいつかにつながっているものです。

「雪はその白さから治る日はないだらう」2024年 独立書展 (書家 宮本洋志)

 

 

 

(2024年2月)