卒業生の声

社会で活躍されている卒業生・修了生の活動を紹介します。

No.41 前 義典 MAE Yoshinori
三重県立木本高等学校教諭


第一学群自然学類地球科学専攻

経歴

1988年3月 三重県立木本高等学校卒業
1988年4月 筑波大学第一学群自然学類入学
1993年3月 筑波大学第一学群自然学類地球科学専攻卒業
1993年4月 三重県高校理科教諭として三重県立南島高等学校に赴任
2014年4月~ 三重県立木本高等学校に勤務

 

筑波大学をめざす

私は、小学1年生から始めた剣道を今でも続けています。高校2年生の秋、大学日本一を決める大会で、筑波大学剣道部が優勝した記事を雑誌で見て、大学でも剣道を続けるなら日本一の筑波大学でやりたいと思うようになりました。担任の先生に相談すると、当時、私は理系の進学クラスにいたので、理科の推薦試験で筑波を受けてはどうかと勧められました。物理を集中的に勉強して、第一学群自然学類に合格し、筑波大学に入学、剣道部にも入部しました。剣道部はほとんどが体育専門学群の学生で、私のような他の学類の人間はわずかでしたが、それでも充実した日々を過ごすことができました。私は団体戦のレギュラーに入ることは叶いませんでしたが、憧れたとおり、3年次、4年次に筑波大学剣道部は2年連続で大学日本一になりました。しかし、もともと筑波には剣道をやりたいという思いから入学したため、1、2年次では学業が手に着かなくなり、授業からも遠ざかるようになってしまいました。

剣友とともに

専攻選び

3年次にあがる前に、自然科学の中で専攻を選ばなければなりませんでした。私は、どんな先生がどんな研究をしているのか、全くわからず途方に暮れました。頭に浮かんだ先生は、1年次のフレッシュマンセミナーの担任だった久田健一郎先生、ただ一人でした。ある夜、意を決して連絡も取らずに先生を訪ねました。先生の自宅のドアをたたき、開口一番、「先生の研究室に入れてください」と頭を下げました。突然の訪問に先生は驚きながら、「お前は俺が何の研究をしているのか知っているのか?」と言われ、私は正直に「知りません」と答えました。あきれ顔の先生に、それでも何度も頭を下げると、先生がふと「お前は化石は好きか?」と聞かれました。私は、小学生の頃に、実家のみかん畑で畑の石を割っていたらそこから貝化石が出てきた経験がありました。そのことを必死に説明すると、「よし、お前の卒業研究はそれで決まりだ」と言ってくださり、研究室に入れてもらえることになりました。久田先生は地質学の先生だったのです。1、2年次に授業に出なかったこともあり、私は5年生に留年しましたが、高校の理科の先生になってふるさとに帰ろうと決意し、三重県高校理科の採用試験に合格して、三重県に帰ることになりました。

恩師久田先生と

ふるさと熊野に帰って

30歳になる年に、ふるさと熊野に帰ることができました。そこで、地元のタウン誌「かまん・くまの」を編集発行する見臺洋一さんに出会います。「熊野に生きる喜びと誇り」をテーマに、熊野人による熊野人のためのタウン誌という志に共感し、私もボランティア記者として参加することになりました。最初は、地域の人にスポットをあて、取材してお話を聴いてはそれを記事にして投稿していました。年4回の季刊であるため3ヶ月に一回原稿を書かねばなりません。毎回、原稿の催促が来てあわてて取材して書くことが多かったです。あるとき、締め切りが迫っているのにいよいよ何もアイデアが浮かばず、苦し紛れに恩師の久田先生が私が三重に戻るときにかけてくださった言葉を思い出して、原稿にしたのです。それは、「古来、熊野は熊野三山をはじめ人々の信仰を集めて魅了し続けてきた。そのことと地質的な背景には必ず関係性があるから、それをお前が調べたらいいんだ」ということでした。私は、熊野を地質的な切り口で見てみたら新しい発見があるかもしれないと、読者に委ねるつもりで原稿を書きました。すると、編集長の見臺さんから、「前くん、今回のはいいね。次からこれで書こう」と言われたのです。それはちょうど熊野に戻って10年ほどたった頃で、それから10年間、40回分の原稿を「地質からみた熊野」というテーマで連載したのです。2022年の夏、タウン誌「かまん・くまの」は終刊を迎えました。すると、大学を退官した久田先生と、研究室の1つ先輩だった唐田幸彦さんから連絡が入り、私が書いたものを熊野のガイドブックとして本にしないかというお話をいただいたのです。唐田さんは、株式会社ダンク・ジオトレアカデミー事業部を立ち上げ、久田先生はその顧問となり、ジオトッレキングなるものを推奨する活動を始めていたのです。ただ単に山歩きをするだけでなく、そこに地質学的な発見や学びを付加する、それがジオトレッキングです。私の書いたものはそれにふさわしいと言ってくれたのです。

七里御浜でのフィールドワーク

現在

2023年1月4日、久田先生監修のもとジオトレアカデミー事業部から、私の著書「青のくに  熊野」が出版されました。熊野出身の詩人、佐藤春夫は「空青し 山青し 海青し」とふるさとを歌いました。七里御浜の礫浜で見られるグレーの浜石が私には青く見えるのです。熊野は石まで青い、それで「青のくに 熊野」と本のタイトルをつけました。それがきっかけで、今では地元の勉強会やフィールドワークの講師、ツアーガイドとして呼んでいただけるようになりました。先日も、剣道を通じて知り合った仲間たちが熊野に遊びに来てくれて、梅仕事や滝巡りを一緒にし、剣も交えました。これからも熊野を愛し、熊野を愛する人を増やす活動に身を捧げたいと思っています。今、一所懸命やっていることが、役に立ったり成就したりするのは、ずっとあとになってからのことです。人生に無駄はないと思って、みなさんも自分の道を歩んでいってほしいと願います。

「青のくに 熊野:岩と滝を巡る旅」 前 義典(著)、久田健一郎(監修)/(株)ダンク・ジオトレアカデミー事業部

 

 

 

(2023年07月)