卒業生の声

社会で活躍されている卒業生・修了生の活動を紹介します。

No.36 安里 開士 ASATO Kaito
福井県立恐竜博物館 主事(研究職員)



地球進化科学専攻

経歴

2010年 筑波大学生命環境学群地球学類
2014年 筑波大学大学院生命環境科学研究科地球科学専攻
2016年 筑波大学大学院生命環境科学研究科地球進化科学専攻
2018年~2019年 日本学術振興会特別研究員(DC2)
2019年~2020年 日本学術振興会特別研究員(PD)
2020年~  現職

 

「古生代の謎の化石を研究したい」と大学の推薦入試の面接で答えてから早いもので10年以上が経ちました。紆余曲折もありましたが、大学で出会った方々のおかげで、幼いころに憧れた太古の貝化石を研究する職業に就くことが出来ました。人生の三分の一にあたる10年間を過ごした筑波大学での経験とつながりの一部が、学生の皆様にとって何かの参考になれば幸いです。

太古の貝に魅せられて

幼少期は海に囲まれて育ったためか、4歳のころから貝に興味をもつようになりました。特に私を夢中にさせたのはサザエなどの巻貝で、「あんなにグルグルとなんで巻いているのか?」と形の魅力にとりつかれてしまいました。貝を拾いながら月日は流れ、幼いころに抱いた疑問を知るには出現初期の太古の貝の形を調べればいいのではと考えるようになり、生きている貝だけでなく化石にも魅了されていきました。特に貝化石の中には、顕著に巨大化したものや殻の形すら分かっていない謎の化石などが多く存在しており、太古のロマンを感じずにはいられませんでした。その折、とある科学雑誌の「カンブリア大爆発」という、5億4200万年前―5億3000万年前に起きた生物進化史上重要な現象に関する記事が目に留まり、SSF(微小有殻化石群:Small Shelly Fossilsの略)という微小な殻をもつ生物化石群があることを知りました。これらの中には貝のような形の化石なども存在していたことから、SSFのような貝に似た謎の化石を研究したいと思うようになりました。その記事を執筆していた研究者の所属には、筑波大学生命環境系と書かれていました。進むべき進路が見えた瞬間でした。

貝歴1年(5歳)の私。地元沖縄の浜辺にて

晴れて大学へ入学したものの、周りの人たちの学力の高さを痛感させられました。決して賢い方ではなかった私は、はじめのうちは皆に遅れないようにと必死でした。しかし、そのような学生生活の中で個性豊かな友人と出会い、サークルや部活動の傍ら、ともに切磋琢磨した日々がとても楽しく充実していたと思います。サークル活動だけでなく、学類行事にも関わることで早いうちに地球学類の先生方や先輩方と知り合うことができました。時には失敗や挫折もありましたが、今思えば良い経験だったと思います。

サークル活動では、中学から行っていた卓球部と混声合唱、さらに貝をはじめ生き物全般が好きだったことから、馬術部と野生動物研究会など、好奇心のままに幅広くチャレンジしました。また趣味として、学類の先輩と日本全国に化石採集へも行きました。実際に地層がむき出しの産地へ赴き、五感すべてを駆使して化石を探す経験は何物にも代えがたく、実際のフィールドワークでも大いに生かされています。

卒業研究の少し前に、研究で支障の無いよう苦手な英語を克服しようと、友人数名とニュージーランドへ短期留学に行ったことも、今の自分の糧になっていると思います。正直なところ、当時の私は英語に強い苦手意識を抱いていたため(今も得意とはいえませんが)、研究で必要だからとはいえ海外で生活することへの恐怖心は少なからずありました。しかし、いざ到着してみると案外なんとかなるもので、帰国直前のころには一人で見知らぬ海岸を訪れ、見慣れない貝たちを拾いまくっていました(笑)。この時の海外経験で培われた度胸と適応力は、海外調査を行っている今でも助けられております。

インドの地質調査所にて

「謎の化石」を追い求める

全国の様々な地域で化石を採集するに従い、日本の古い時代(恐竜時代:中生代とそれ以前の時代:古生代)の貝化石はほとんど研究されていないことが分かってきました。すると次第に、それら名も知らない貝化石について研究したいと思うようになりました。中でも幼少期、学校の図書室で読んだ化石図鑑のコラムに載っていた、「金生山の貝化石」を研究したいという思いが強くなりました。4月から卒業研究が始まろうとしていた3年生の3月、いても立ってもいられなくなった私は、岐阜県大垣市の金生山へ足を運び、近くの博物館で貝化石の研究状況を調べに向かいました。そして今日に至るまで、金生山の貝化石を研究することになったのです。金生山から見つかる貝化石は、一部の種が著しく巨大化していることが特徴です。中には殻の長さが1mを超えるものも知られますが、その多くは詳しく分かっておりません。巨大な二枚貝「シカマイア」もその一つでした。

  

シカマイアの実物大復元模型

シカマイアは1968年、金生山から発見された化石で、発見当初から半世紀もの間、「謎の化石」として知られておりました。その理由は、化石が堅固な石灰岩の中に含まれているためで、化石本体の取り出しが困難だったのです。そのため、金生山からたくさん見つかっているにもかかわらず、シカマイアがどのような生物だったのか、どのような形だったのか解明されていませんでした。私は、修士のころからこの「謎の化石」を研究することに決め、金生山のある岐阜県を何度も訪れる日々を送りました。シカマイアは断面だけでも長さが1mを超えることがあるほど巨大なので、化石の含まれる石灰岩を出来るだけ大きな塊で採取しなければなりません。そのため、化石を採取し運び出すだけでも大変な作業でした。様々な方々の協力により、100㎏近い石灰岩の塊を1トン以上も研究室へ持ち帰ることができました。これら堅固な石灰岩塊から化石を取り出す作業は困難を極めましたが、強力なエアーツール(どちらも圧縮した空気圧を利用した削岩機)を用いて約1年半かけて石灰岩から削り出した結果、保存状態の良い標本を得ることができ、1mを超える特殊な形をした巨大な二枚貝であることが分かりました。その後、博士課程ではシカマイアの進化について研究していき、3つの新種が砂に沈まないように殻の形を変化させていく様を解明しました。そして無事に、筑波大学で博士号を取得することが出来ました。ホコリと泥にまみれながら突っ走った修士と博士の5年間でしたが、食事をとることも忘れるくらい研究に熱中した日々は、間違いなく今の私の研究人生の基礎を築いています。

シカマイアを削り出す光景

貝と恐竜との接点

博士号取得後の1年間、私は筑波大学に研究員として貝の研究をしながら、次の所属を探していました。幸いなことに、この年は博物館の研究員公募が豊作で、研究職への就職が厳しいといわれる中どこかに採用されないかなと楽観的に考えておりました。結局、6つの博物館の公募に応募しましたが、最終的には、縁あって福井県立恐竜博物館に採用が決まりました。現在は、専門である古生代の貝化石とともに、恐竜発掘現場から見つかった中生代の貝化石も研究しております。これまでよりも新しい時代の川や湖の貝化石という事もあって日々勉強しながら、とても充実した研究生活を送っております。

発掘現場の貝たちに囲まれて

貝化石の研究者なのに恐竜博物館!?とお思いの方もいると思いますが、実は貝化石にもゆかりのある博物館なのです。博物館が出来る前、福井県の恐竜化石発掘現場付近は白亜紀前期(約1億2000万年前)の河川棲淡水貝化石の有名な産地でした。そのため、川に流された恐竜の骨がこの付近で見つかるかもしれないと予想され、恐竜化石発掘調査が行われた結果、日本を代表する恐竜の一大産地発見へとつながった訳です。福井県立恐竜博物館にとって貝化石は、博物館がオープンするきっかけとなった存在といえるでしょう。福井へお越しの際は、是非当館へ足を運んでみて下さい!

おわりに

大学生活というのは、学生の良さと大人の良さが共存する最も自由な時期だと思います。勉強だけでなく、自分の好きなことをトコトンやってみたり、友人と夜の深い時間まで語り合ったりと、時間のあるときにしかできないような経験をたくさんしてみて下さい。筑波大学には、日本全国や海外から個性豊かな仲間と、やりたいことを幅広く挑戦できる環境が整っています。大学時代で得た経験とつながりは、将来の自分の根幹を築き、活動の場を幅広く豊かなものにしてくれるはずです。今を生き生きと自分らしく、そして楽しく生きる人は、自ずと魅力的に映ります。皆さんが充実した学生生活を過ごし、それぞれの選んだ道で魅力的な人になって筑波大学をアピールしていくことを期待しています。

タイの石灰岩壁での調査にて

 

※シカマイアや博物館での仕事の様子をご覧になりたい方はこちらもご参照ください。

・福井県立恐竜博物館/恐竜博物館ニュース 第60号(2020年8月)
研究員のページ「日本で発見された謎の化石―シカマイア―」

・福井県立恐竜博物館WEB/恐竜博物館のスタッフ紹介

・朝日新聞DIGITAL /2021年3月8日付記事(記者/大西明梨)でも、安里開士氏の取材記事が掲載されております。

(2021年7月)