卒業生の声

社会で活躍されている卒業生・修了生の活動を紹介します。

No.32 日向 岳王 HINATA Takeo
ミュージアムパーク茨城県自然博物館
主任学芸主事 



教育研究科 教科教育専攻 理科教育コース 修了

経歴

2006年 教育研究科 教科教育専攻 理科教育コース 修了
2006年 茨城県立高等学校 教諭(理科:専門は生物)として採用
2016年 ミュージアムパーク茨城県自然博物館 勤務

ホームページの「卒業生の声」には、立派な方々が名前を連ねている中、大変恐縮しつつコメントを書かせていただいおります。私の職業は、茨城県の高等学校の教員です。現在は、ご縁があり、ミュージアムパーク茨城県自然博物館の職員として、学芸員に準じることをしています。

写真1:博物館の仕事(講師派遣の様子)

学生時代

理科が好きだったので、学校の先生になって「面白さ」を伝えたいと思っていました。そこで、その面白さの伝え方を勉強したいと思い、教育研究科理科教育コースに進学しました。当時、私は自然科学のなかでも、DNAを扱う技術を分かり易く伝えることに興味がありました。研究室を探していると、遺伝子実験センター(現:つくば機能植物イノベーションセンター(T-PIRC)遺伝子実験センター)の鎌田研究室(植物発生生理学研究室)で小野道之先生が力を貸していただけることになりました。ここでのテーマは、メンデルが実際に用いた系統のエンドウマメの「丸」と「しわ」の形質について遺伝子を調べ、セントラルドグマ(DNA→RNA→タンパク質)の理解を促す教材などを作成しました。小野先生のおかげで、教材開発のノウハウを勉強できました。
また、鎌田博先生(故人)はバリバリの研究者でしたが、他に文部科学省の「その道の達人派遣事業」において教育普及活動もしていました。生徒に学ぶことを本当に楽しそうに伝えていました。こんな風に授業ができたら生徒は理科が好きになるんじゃないのかなと思わせる授業でした。遊びも得意な先生で、達人の出張先の秋田や大阪などでは、秘湯巡りをしたり、おいしいものをごちそうになったりしたことも思い出の1つです。
当時の研究室の様子は、20人を超える大所帯で、毎日が活気に満ち溢れ、先生、先輩、同級生や後輩の研究に対する熱量が周りに伝導し増幅することを肌で感じる日々でした。この時の熱量が、今の自分を作っているのではないかと思っています。
研究室は違いますが、理科教育コースに所属していた同級生たちとは、どうやったら生徒たちに理科が好きになってもらえるか話し合ったこともあり、この時間が結構楽しかったように思います。また、自分たちで教員採用試験対策サークルを作り、文部科学省の文章をまとめて発表し合ったり、テーマを決めて今後の教育について集団討論を行なったりしました。

写真2:教育研究科理科教育コースのメンバー
(一番左が私)

高校教員の仕事

卒業後、茨城県の教員として働きはじめました。
最初の勤務校はスポーツに力を入れている学校で、アーチェリー部の顧問として生活したことが思い出です。アーチェリーのことを全く知らない私でした。しかし、生徒たちは私にやる気を与えてくれ、そして関東大会入賞、インターハイ出場の機会に恵まれ充実した日々を過ごしました。実は、こうなる少し前が、社会人としての正念場でした。理科を教えたいのに違うことをしていると思ってしまったことがあったので、生徒とうまくいかないこともありました。この時、悩みを相談した先輩先生から、「俺(先輩)は30年くらい教員をしているが、生徒とうまくいかないことはたくさんある。教員を始めたばかりの日向先生が、うまくいかないのは当たり前で、悩むことはおこがましい」との言葉をいただきました。一目置く先生からの「うまくいかないことはある」という言葉で、「ほっ」としたことを覚えています。ここで何ができるかなと考え、部活を一緒にやる、テスト勉強を一緒にやる、何でも一緒にやることを始めたことで、この勤務校での生活が充実し始めました。その中で、この生徒たちに、部活動とともに学習面でも充実してほしいと思い、どうやったら分かりやすく内容を伝えられるかと考えて授業をするようになりました。

写真3:アーチェリーのインターハイ

2つ目の勤務校は、県内有数の進学校でした。受験指導に重きを置き、参考書を用いて、模試、受験問題を必死に解きました。生徒は、少しは点数が取れるようにはなるかもしれませんが、理科の楽しさを伝えるには足りない授業になっていたと思います。この頃、【私】が生徒に授業で教えることが中心で、【生徒】が授業で何を学ぶかというようなことは意識できていませんでした。県内外の理科の先生たちと関わる機会を持つことで刺激を受け、授業改善につとめ、授業で生徒にどんな力をつけるかということ意識し、生徒と共に授業を作るようになってきました。
生徒が以前よりも授業に参加している、生徒が授業をしている。この時、理想としていたやりたかった授業に近い形になってきて、もっと授業をよくしていきたいなと思っていきました。
このような中、周りの先生方のすすめもあって、数年間、博物館で働かないかとお誘いがありました。

ミュージアムパーク茨城県自然博物館の仕事

お誘いいただいた際、博物館に係わるような自然科学(生態学、分類学)の知識はほとんどなかったので、働くことが不安でした。しかし、当時の研究室長が「一緒にやってみないか」と言ってくださったので、これからの生徒の為に力をつけて還元しようと思い働くことにしました。
自然史系の博物館は、主に植物、動物、地球科学について調査研究・資料収集・普及をしています。この学術的な根幹をなしているのは、学芸員の方々です。私は、学芸員の方の助言を受けながら植物について学び、学芸員に準じるような仕事をしています。学芸員の仕事は、主に3つあります。

(1)教育・普及について
教員のスキルをいかせる仕事で、自然を分かりやすく楽しみながら伝えます。例えば、自分で採取した葉に絵具を塗り、その形をエコバックに写し取り多様度を学習したり、コケを採取して、テラリウムを作ってその生態を学習したりします。
何といっても、当館のイチオシは企画展です。年3回企画展を行っていますが、私は第77回企画展「さくら展」(開催期間2020年2月22日~6月7日)をチーフとして任せていただきました。コロナ禍に関わらず、多くの方々の協力により、身近であるがよく知られていないサクラについて、多様性、生き物との関わり、人との関わり、サクラの未来を伝える機会をいただきました。
この企画展は、YouTubeで紹介していますので、ぜひご覧ください。

写真4:さくら展動画紹介      
ミュージアムパーク茨城県自然博物館 YouTube

(2)研究について
植物研究室に所属しているので、絶滅危惧植物の保全を行ったり、茨城県にどのような植物があるのかを学芸員の方たちと調べたりしています。また、さくら展をとおして、第一線の研究者と知り合うこともでき、新種のサクラであるクマノザクラの調査に同行することもできました。

写真5:紀伊半島で見られる新種のクマノザクラ

(3)資料の収集について
教育・普及や研究にも関係しますが、資料を採取し、必要な情報を記載し、適切な処理をして標本として収蔵することを行っています。このような標本は博物館などの収蔵庫で保存することで100年以上も残すことができ、現代の自然を後世に残す大切な遺産となります。私は、10種ある野生のサクラを自生地で採取し、貴重な標本として博物館に収蔵することができました。

写真6:自生地で採取したオオシマザクラの標本

これからの仕事

博物館で勤務することで、その前より少し生き物や自然に詳しくなり、実際の生きものの面白さを伝えられるようになりました。数年後、学校現場に戻ったら、博物館での自然体験をいかして、改めて、理科を楽しみながら授業をしたいと考えています。

学生の皆さんへ

多くの先輩方が、全国で活躍しています。魅力的な人に出会った時、それは、私たちの先輩かもしれません。教育の立場では、文部科学省でこれからの教育の流れを作っている方がいたり、各県を代表し教育委員会で働いている方もいたりします。このような立場で活躍する方もいますが、目の前の生徒と向きあって共に学び合っている方もいます。どの立場の方も、「熱量」を持って仕事をしていらっしゃいます。
仕事をするには一人ではできません。周りの人と力をあわせる必要があります。そこで、私は人と人とのつながりを大切にしようと思っています。人とのつながりを大切にするために必要なことの1つとして、その人の意見に耳を傾けることにあるのかなと思っています。心配してくれる方が、ちょっとした声をかけてくれることがあります。その声に耳を傾け自分を少しだけ変えてみる。少しの変化の積み重ねが、自分が成長できるヒントなのかなと思っています。いつも誰かの「お・か・げ」で頑張れているんだなとこのコメントを書いていて改めて感じています。

(2020年7月)