卒業生の声

社会で活躍されている卒業生・修了生の活動を紹介します。

No.25 木村 晃太郎 KIMURA Kotaro
農林水産省 生産局総務課 生産推進室
課長補佐(企画調整班)


生物資源学類

経歴

2003年3月 青森県立三本木高等学校 卒業
2003年4月 筑波大学第二学群生物資源学類 入学
2008年3月 筑波大学第二学群生物資源学類 卒業
2008年4月 農林水産省(国家Ⅰ種・農学)入省

先日、筑波大学での農林水産省OBキャリア講演会で登壇したことをきっかけに、<卒業生の活動>への執筆依頼をいただきました。大変名誉なことで二つ返事で引き受けたものの、いざパソコンに向かってみると、他に執筆されている卒業生の方々と比べ、他人に誇れる立派な大学生活を送っていないことに気づきました。

とはいえ、せっかくいただいた機会ですので、私が筑波大学を志してから現在に至るまでの経緯と、これまでの経験を踏まえた筑波大学卒業生としての学生や筑波大学を志す方へのメッセージを綴ってみました。筑波大学でなければできなかったことじゃないかもしれませんが、筑波大学だからこそできたことはたくさんあったのではないかと思っています。

みなさんの今後のキャリア選択等の一考にしていただければ幸いです。

筑波大学を志した理由

私は青森県の片田舎の生まれで、自宅から通える範囲の地元の進学校へ通っていました。同級生の多くは、まずは東北大学を第一志望で目指す中、将来は東京で就職しようと思っていた私は、担任の反対を押し切り、東京圏の大学を目指していました。

とはいえ、お世辞にも裕福とは言えない家庭で育ち(学生時代は世帯収入が一定額以下の家庭ということで授業料の免除措置もしていただきました)、都内に部屋を借りて大学に通う経済的余裕もなく、宿舎・寮のある国公立大学というのが条件でした。そこへ高校の部活の顧問の母校である筑波大学を紹介され、いろいろと調べてみると、大学の敷地内に宿舎を備え、国内最大の研究学園都市(当時の私は遺伝子組換えやクローン技術等に興味を持っていました)、自然に恵まれた環境、都内へのアクセス等、自分の理想にぴったりの大学だと思い、筑波大学を志望するようになりました。

大学生活について

大学入学を機に一人暮らしを初め、自由を手にした私は、アルバイト、学類の行事、サークル活動等に全力投球の日々でした。もちろん、本業である授業も単位を落とすようなこともなく、(最低限)まじめに受けていました(笑)

筑波大学は程よく田舎で、青森県の片田舎から出てきた私にとっては妙な安心感がありました。以前は陸の孤島とも言われていたようでしたが、私が学生の時にはつくばエクスプレスが開通し、東京へのアクセスも非常に良くなりました。国内最大規模の広大なキャンパスには広い農業実習場もあり、同級生には近くの農家等にボランティアやアルバイトにいっている人もいました。これは東京都内の大学にはない、筑波大学ならでは利点だと思っています。

国の機関や民間の研究施設等と連携している研究室も多く、共同研究という形で世界最先端の研究をしている同級生も多くいました。私は後述するように、大学院へは進みませんでしたが、学部生の卒業論文へ向けた研究でも非常にレベルの高い研究を任され、最後は学会での発表も経験させていただきました。学会発表のため、担当の先生には熱心に指導していただき、仮説を立てて研究計画を立てていくプロセス、発表スライド作成、人に伝わる発表等、他の研究室に在籍する学部卒の同級生に比べると非常に鍛えられたと思います。この経験は就職した今でも非常に役に立っています。

最後に個人的なことになってしまうかもしれませんが、スポーツ好きな私にとっては体育の授業の先生や講師がその分野の有名人だったり、大学構内でも日本代表などの有名選手が自転車に乗って移動していたりするのを発見したりと、一人で興奮していました。

農林水産省へ入省するまで

早い人では大学1年生から自分の進みたい道を決めている中、私は大学3年生の時の研究室選択の時に、ようやく真剣に就職先を悩み始めました。これまでの学生生活を好き放題やってきたこともあり、就職先はやるからには自分ができる一番厳しい道を選ぼうと考え、民間企業なら世界最先端の研究室、公務員なら国家Ⅰ種(現在の総合職)を目指そうと決めました。

自分は本当に何がやりたいのかを考える中で、①人間の生活の基礎の「衣食住」の中でも最もなくてはならない「食」に関する仕事に携わりたい。②人の役に立つ仕事がしたい。特に社会的弱者のために働きたい。③日本の農業の抱える課題は多様で根が深く、政策誘導が必要な場面が多い。そのためには公務員にしかできないことが多い。ということから公務員を目指すことにしました。

こうしてようやく進路を決め、公務員試験に向けた勉強を始めてみましたが、高校・大学と推薦で入学し、受験経験のない私は、人生初めての受験に難航しました。そんな中でも、公務員試験を受けた先輩や公務員OB・公務員試験問題作成経験のある先生等、たくさんの方々に支えていただきました。このような広い人脈があるのも筑波大学の強みの一つだと思います。

自分なりに精一杯試験勉強をやったつもりではいましたが、自分の能力不足や準備期間が短かったこともあり、結果は失敗。県庁や国家Ⅱ種という選択肢や大学院へ進学しながらの再挑戦(さらには大学院へ進学し、そのまま研究職へ)といった選択肢もありましたが、大学を休学し、再挑戦する道を選びました。

国家Ⅰ種試験の再挑戦を決めた理由は、一生後悔して働きたくなかったからです。公務員浪人という1年の足踏みを避けるため、妥協して県庁や国家Ⅱ種に就職した場合、定年退職するまでの間ずっとすっきりしない気持ちで働かなければいけないのではないかと思いました。また、自分が国家Ⅰ種を目指そうと思った目的をその他の職種で果たすことはやはり難しいとも感じました。

休学した理由は、また落ちたときの言い訳や逃げ道を作りたくなかったからです。休学しなければ、次回の試験の直前には卒業論文提出等があり、仮に失敗したとき、それを言い訳にしてしまう気がしました。そのため、言い訳や逃げ道になるようなものを排除し、自分が全力投球せざるを得ない環境を強制的に作らなければならないと思いました。休学して再度試験に失敗すれば、その1年間は全くの無駄になるという、何が何でも受からなければいけないという状況を自ら作るためでもありました。それからは朝から晩まで大学の図書館に引き籠もる日々で、全く誰とも会話をしない日もありました。これまでの人生で一番ストイックに自らを追い込み、後悔しないため、これ以上できないと思うまでやれたと自負できる期間でした。もう同じことは二度としたくないですけどね(笑)

翌年、無事に合格し、念願の農林水産省へ入省することができました。

農林水産省での勤務について

農林水産省では筑波大学出身の卒業生が毎年コンスタントに入省しています。また、新規採用者向けの全省庁合同研修では、同じグループに防衛省の筑波大学出身者もいて、国家公務員でも筑波大学の卒業生が多数活躍しているんだと感じました。

私がこれまでの業務で最も印象に残っていることは、東日本大震災と平成30年7月豪雨という2つの大災害を経験したことです。生まれ故郷である東北が甚大な被害を受けた東日本大震災は農林水産省本省という立場、平成30年7月豪雨は当時勤務していた岡山県にある中国四国農政局(農水省の出先機関)という違う立場での経験でした。本省では必要な規制緩和や支援策等を平時では考えられないようなものすごいスピード感で決定していっていました。農政局では水没した倉敷市真備町の現場に直接入り、被災者の要望を聞き取り本省へ伝える役割でした。

2つの大災害を経験し強く感じたことは、被災者支援こそ、私が公務員を志した原点である社会的弱者の役に立てる仕事だということです。被災者支援にはいろいろな方法(食糧支援、財政支援、人的支援など)があります。その中でも規制緩和、緊急支援は行政(公務員)にしかできません。特に全国的なもの、大規模なものは国にしかできないことが多いと思います。大災害の対応こそ、国家公務員としての力を最大限に発揮するべき場面であり、強い使命感とやりがいのある仕事であると感じました。万が一、もう一度災害対応をしなければいけなくなったときは、これまでよりもさらに、少しでも被災者支援に貢献したい、そのために日々スキルアップをしなければならないと強く感じました。

筑波大学の学生や筑波大学を志す方へのメッセージ

自らの道を決めた選択肢に正解というものはなく、その道を選んだ後にどうするかが重要だと思っています。例え失敗しても、これまでの過程や諦めて軌道修正した後の将来に納得できるかをよく考えてみてください。うまくいかず、あの時選んだ道が間違いだったと後悔するより、努力して成功させれば、その選択は結果的に正解だったと思えるはずです。逆に、限界まで精一杯やりきれば、その上での進路変更に納得できることもあると思います。結果的にそちらの道の方が自分に合っていたということもあるかもしれません。

筑波大学はハイレベルな幅広いことにチャレンジできる環境が整っています。ぜひ同じ筑波大学卒業生として、いつかどこかでみなさんにお会いできたら良いなと思っています。

 

(2019年8月)