卒業生の声

社会で活躍されている卒業生・修了生の活動を紹介します。

No.24 𠮷田 国光 YOSHIDA Kunimitsu
金沢大学 人間社会研究域 学校教育系 准教授



地球環境科学専攻

経歴

2006 関西学院大学文学部史学科地理学専修 卒業 学士(文学)
2011 筑波大学生命環境科学研究科地球環境科学専攻 修了 博士(理学)

筑波大学大学院への進学

私は関西学院大学の文学部から、当時、一貫制博士課程であった生命環境科学研究科(地球環境科学専攻人文地理学分野)に進学してきました。学部時代を過ごした関西学院大学の地理学教室は、とくに人文地理学のなかでも文化・社会的側面からのアプローチに強みのある研究室で、私もそのなかで人文地理学という学問をかじるようになりました。地理学関連の授業を通じて提示される「地域課題に対する着眼点」は、自身の抱く世の中に対する疑問点や不満に拙いながらも共通しているように思えました。大学院へ進学して研究者としての人生を送ることを妄想するようになりました。こうした妄想は、資源管理の観点から農地の過剰利用や利用の放棄という地域課題が発生する仕組みについて取り組みたいという思いに膨らんでいきました。そして当時の指導教員に大学院進学を相談したところ、「農業・農村地理学なら筑波大」とアドバイスいただいたことが、当研究科へ進む第一歩となりました。

大学院入学後の生活

筑波大学の生命環境科学研究科(旧地球科学研究科を含めた)人文地理学系の研究室は、日本で最も多くの人文地理学者を輩出している研究室といっても過言ではなく、所属院生数も全国随一でした。入学後、先輩や同級生のほとんどは、自然学類か比較文化学類、もしくは当研究科のOBOGが勤務する大学の出身者でした。私のような“系統”の異なる大学からの進学者はほとんどいないことと、自然学類から「こんなにたくさん進学してきた」ことに、私大“ど文系”出身の私は衝撃を受けました。今となっては、そんな当たり前のことも知らなかった無知さに呆れてしまいますが。研究上のアプローチも、“学風”は大きく異なっていました。同じ人文地理学を専門とする学士課程を経ていたはずですが、M1の院生の“できること”にも大きな違いがありました。例えば、GISを使った分析やPCを使用した製図、自然地理学の基礎を含めた自然科学的理解などです。当時、私はこの違いを「能力差」と感じ、その「能力差」を埋めようと苦心した記憶があります。

一方で「能力差」を感じる一因となった先輩や同期など院生数の多さは、すぐに利点へと変わりました。わからないことがあれば周囲に気軽に聞ける環境であったのです。人文社会科学系の大学院、とくに文学研究科では、大学院進学=アカデミックポストへの道であり、修士取得後に民間企業等への就職というキャリアは想定しづらいものでした。院生は、いたとしても数人で、大学院生は孤独な戦いに挑んでおりました。そのため教員による含蓄に富んだアドバイスを、自身の理解力のみで即座に理解する能力も求められます。この点について、全国の人文地理学系の研究室を見渡して最も院生が多い筑波大学では、ゼミなどを通じて先輩らが物分かりの悪い私に、わかるように翻訳してくれるので、とても最適な環境だったのだと思います。私にとって最適だっただけで、物分かりが悪い、かつ関西弁特有の騒がしさを備えた私に周囲の院生や教員は大変迷惑したと思いますが。

学振特別研究員に採用されている先輩も多くいたことから、制度や申請書の書き方などを伝授してもらえました。その恩恵にあずかって自身も学振特別研究員に採用されたことは、安定した経済状況と、金銭的不安の解消によってもたらされた精神の平穏は、大学院生を続ける原動力となりました。今となっては筑波大の人文地理学系研究室が、人文地理学者になるための“集積の利益”を生じさせる空間であったということの証左かと思います。

また、筑波大の人文地理学系研究室の培ってきた伝統的なカリキュラムの特徴である野外実習(通称、巡検)は、私が研究者として自立するために大きな助けとなりました。これは、秋に1週間、翌春に1週間の計2週間の野外実習(科目名は人文地理学野外実験および地誌学野外実験)を通じて実施した調査結果をもとに、紀要論文の執筆まで貫徹することで、研究のイロハを体得するというものです。この紀要論文が掲載される「地域研究年報(地域調査報告)」は、偶数年度には人文地理学野外実験の成果(主に共同研究)、奇数年度には地誌学野外実験の成果(主に単独研究)がまとめられるようになっています(詳しくは、松井・兼子(2014)で紹介されています)。2つの巡検は博論執筆年の秋以外は全て参加することが基本となっており、私は計9回の巡検に参加することで個人技とチームプレーの双方の能力を養うことができました。また2つの巡検では、多くの院生が多様な研究テーマに取り組むため、都市構造や商業など自身の専門外となるテーマの調査方法や手順を“耳学問”として学ぶことができました。この経験は、教員養成課程の地理学教育を1人でオールラウンダーに対応しなけばればならない状況において大いに役立っています。これまで指導した卒論生のほとんどは、私の研究からかけ離れたテーマで卒論を執筆してきており、専門外の調査方法に触れた筑波大での経験が活きています。これは、多くのOB・OGの間で意見が一致する点でしょう。細分化された学問領域ごとに研究室が設置され、教員の大きな研究テーマの派生部分に共同研究で取り組む傾向にある自然科学領域とは異なる特徴かと思います。

自立した研究者となった私から学生の皆さんへ

先にも触れましたが、私の現職は教員養成課程でほぼ全ての地理学関連科目とその他教育関連科目を担当しています。教育面においては先述した経験が活きていますが、その他、院生時代の経験が大学教員として働く上で活きているものとしては、校務遂行に関する処理能力かと思います。先の通り、人文地理学系研究室には多くの院生がいたことや、学会の事務局があったことで、慣習的な“雑務”にも携わる機会が多くありました。院生当時は「面倒」以外の何物でもなかったのですが、マルチタスクに業務を遂行していかねばならない現職においては、非常に助かっております。

当時在籍していた若手教員から、半分冗談・半分本気で「大学教員として必要な能力を涵養するエリート教育だ。いずれわかる」と冗談っぽく言われ(言い聞かせられ?)ていました。「そんな騙そうとしても、騙されませんよ」と冗談で返していましたが、あながち冗談ではありませんでした。大学教員としては、研究以外の校務をいかに効率よく遂行するのかが、研究時間を確保する、ひいては研究を進めるうえで重要となります。院生時代には「研究能力の向上に邪魔なもの」とみなしていましたが、大学に勤める自立した研究者にとって本当に「必要な能力」であったことを実感しております。在学生の皆さんは、「なんでこんなこと」と不満に思う取り組みもあるかもしれませんが、「なんで」を一問一答的に求めるのではなく、その事項をもう少し俯瞰す(修論や博論のその先のキャリアを見据え)るなかで位置付けてみましょう。そうすることで“無駄”と思える事項も“意義ある”ものに見えることもあると思います。多くの慣習的なものは、これまでの経験を踏まえてより良い状況を生み出すために継続・更新されてきたもののはずです。俯瞰することで別の景色を見せてくれると思います。それでも何も見えない時は、本当に無駄なものかもしれないので思い切って方向転換することも一案でしょう。その時は意固地にならず積極的な撤退をおすすめします。院生生活を送る上で、何かの壁にぶつかったり、ドツボにはまった時、これまで成功し続けてきた「やりぬくこと」以外の選択肢もあるということを思い出していただければと思います。

(2019年6月)

参考文献

松井圭介・兼子 純(2014)大学院におけるフィールドワーク教育の実践−筑波大学人文地理学・地誌学教室の事例.人文地理学研究34:107−125.doi