卒業生の声

社会で活躍されている卒業生・修了生の活動を紹介します。

No.21 鈴木 美慧(旧姓 本多) SUZUKI Misato
聖路加国際病院 認定遺伝カウンセラー



生物学類

「我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?」

筑波大学の生物学類を卒業して早いもので7年が経つ。入学する前には想像がつかないほど、広い世界が大学の中には広がっていて、そこで出会った多くの人や出来事が一つ一つ積み重なり、今の私がいる。この記事を読んで、少しでも筑波大学生物学類に魅力を感じてもらえたら幸いである。

あなたが「筑波大学」を知ったのはどんなきっかけだろうか。模試の大学一覧に載っていた?それとも誰か有名な研究者や研究室に興味あって調べたから?私が筑波大学を知ったのは、センター試験の後に後期の出願先を調べていた時だった。「生き物がなぜ生きているのか、なぜ死ぬのか、なぜ病気や奇形のものが生まれるのか。」そのピュアな疑問を持って勉強していた高校時代から、生物をマニアックに学ぶことができる大学に進学を考え、前期は京都大学を受け(もれなく玉砕)、後期で合格したのが筑波大学だった。

生物学類の学生の特徴は、何かしら好きなモノがあるということだ。動物だけではなく、コケや菌類、植物、ウイルス(?)。私が好きなのは遺伝子配列とミトコンドリアですが、出席番号が一つ前の須黒君はハエトリグモが大好きで、同じクラスの一つ後ろの席の瀬戸君はコケが好きで、それぞれ好きなことに情熱を注いで本を書いたり、海外に修行に行ったりしている。ある程度同じような偏差値や社会的背景で押し固められた高校時代からしたら、なんと多様性に溢れた、稀有な存在の巣窟だろうと驚愕したものだ。4年間、友人、先輩後輩との交流やアルバイトや課外活動に明け暮れて過ごし、夜明けまで泊り込みで観察する発生実験や足りない単位を数える学年末など、存分に満喫できる4年間だった。

大学生となると学部の同じ学年の友人だけではなく、様々な活動がある。音楽や趣味のサークル活動もあれば、アカデミックな活動もあるのが学園都市つくばの魅力だ。私は入学してすぐに「バイオeカフェ」という、市民と科学者の交流の会の運営スタッフに関わった。20-30人規模の少人数で、月に一度専門家を囲み、小一時間ほどお茶を飲みドーナツを食べ、ワイワイ話をしながら知識を深めてみようとする会である。大学の講義のような一方向ではない、対話がもたらす学びの深さが魅力だと感じている。この「バイオeカフェ」はすでに開催100回を越え10年以上続く素晴らしい活動である。もし機会があれば、ぜひのぞいてみてほしい。

もう一つ、大学時代に関わった出来事としてラジオの番組づくりがある。小学校高学年の頃からラジオが好きだった私は、友人がラジオサークルに入ったことをきっかけに、ラジオつくばという地域密着のコミュニティラジオの皆さんと仕事をすることになった。ラジオつくばの開局にあたりMISAvMISA(みさみさ)というラジオネームで、一つ放送枠をもらい、つくば市の研究所や大学などにゆかりのあるニュースをいくつか紹介し、科学イベントや一般公開に参加した報告をする科学をカジュアルに楽しむ番組だった。リスナー数が多いわけではなかったが、リスナーから、私が発信した情報を受け取ったその感想や新たな情報をもらえるやりとりが心地よかった。

顔の見える複数での対話、顔の見えない声での対話。これらの活動がこの先の私の選択に影響を与えることになる。

2008年の冬、バイオeカフェで京都大学、近畿大学で「遺伝カウンセラー」の養成に携わっていた武部啓(たけべひらく)先生をゲストに迎えた。私はそれまで「遺伝カウンセラー」という仕事を知らなかった。ここ数年の技術でヒトの膨大な体の情報(遺伝情報)が解析できるようになり、原因がわからなかった疾患もその機序が少しずつみえてきた。「なぜ?家族にこんなにもがんが多いのか。」「なぜ?生まれつきの疾患を持っているのか?」。ずっと答えがなかったこの「なぜ?」という問いに、遺伝情報を調べる技術によって、答えが出せる可能性が増えてきた。原因がわかれば、その先の対応や新しい治療薬・発症予防の選択につながるかもしれない。原因がわかると、家族や子どもも同じような疾患を発症する可能性もわかるかもしれない。そんな状況を想定しながら、相談者や家族とともに考え、その選択をサポートする仕事が遺伝カウンセラーだ。

この仕事は私が行動してきた「対話」の形の目指す先だった。

遺伝カウンセラーは日本人類遺伝学会と日本遺伝カウンセリング学会が認める学会認定の資格だ。正式名は「認定遺伝カウンセラー(Certificated Genetic Counselor : CGC)。

毎年10月に資格認定試験があり、この試験を受けるために養成過程がある大学院に進学しなければならない。大学一年生でこの仕事に就こうと決めた私は、その後卒業するまで、遺伝学の基礎となる知識や経験を網羅的に獲得するために時間を使った。細胞学概論はなんと3年間も講義を受け続けた。大学院は心理学系や医療系学部の出身者もいるが、遺伝情報を扱う仕事であるため生物学の知識があることは強みになった。

大学院はお茶の水女子大学大学院の認定遺伝カウンセラーコースに進学したのだが、実は高校三年生のときの最初の大学入試でお茶の水女子大学の理学部生物学科は受かっていた。なんとも贅沢なワガママで「女子大」が嫌だ!という理由で入学を辞退して浪人をさせてもらった過去がある。一年後に筑波大に進学できたからこその進路ではあるが、今度は自ら望んでお茶大を選ぶことになったのは数奇な運命だと思っている。

最後に

「我々はどこから来たのか?我々は何者か?我々はどこへ行くのか?」

フランスの画家ポール・ゴーギャンが晩年タヒチで余生を過ごしながら描いた絵のタイトルであり、私がずっと抱いている人生のリサーチクエスチョンだ。私はずっと感じている。こんなにも膨大な遺伝情報を読み取る技術はあるのに、それを解釈するデータも世界で共有できるようになってきたのに、まだ私たちは自分たちヒトという生き物を理解することはできない。疾患の遺伝的な背景がわかっても、まだそこに埋められない余白がある。それこそが生物学的な視点で見たときの生き物の魅力であり、多様性を生み出しているのだと理解するが、同時にもどかしさも感じる。この余白こそが我々が「なぜ?」という問いを持ち続けることができる理由なのだと思っている。

病院で働く傍ら、市民向けの勉強会や医療者、がんのサバイバーの皆さんとたくさんの「対話」をする機会を得ている。遺伝情報だけではない、ありとあらゆる情報が氾濫している今、その渦にのみ込まれる人が少しでも少なくなるように、のまれてもがく人の手をつかめるような存在でありたい。

これが、筑波大学の生物学類に入ったことでひらけた私の世界である。