卒業生の声

社会で活躍されている卒業生・修了生の活動を紹介します。

No.17 益子 美由希 MASHIKO Miyuki
国土交通省 国土技術政策総合研究所
社会資本マネジメント研究センター
緑化生態研究室 研究官

生物科学専攻

経歴

20093 筑波大学第二学群生物学類 卒業
20094月~ 筑波大学大学院生命環境科学研究科一貫制博士課程生命共存科学専攻
20124月~  博士後期課程生物科学専攻(改組に伴う移籍)
20144月~ 独立行政法人 農業環境技術研究所 生物多様性研究領域 契約研究員
201410月~ 同 農環研特別研究員
20164月~  株式会社 野生動物保護管理事務所 計画策定支援室 研究員
2017年4月~ 現職

私は現在、筑波大から少し北にある国土交通省の研究所で研究官(任期付)として勤務しています。生物出身なのに環境省でなく国交省?とよく聞かれるのですが、私の担当は、都市の生物多様性の向上につながる緑地保全のしかたや、河川、道路事業等での生物の生息環境への配慮方法の検討といった、国土交通行政に生物が関連する分野の業務です。私たちの安全で快適な暮らしと生物の良好な生息環境との両立を模索する現場で、学術研究に留まらず行政施策等への社会実装も求められるので、難しさもやりがいも感じながら取り組んでいます。

こんなことを書いていると何だか“王道”な研究者の道を歩んでいるように見えそうですが、私自身では迷いながら来たと思っているので、その辺りを書いてみようと思います。

学類から研究室選択まで

私は小学1年からの鳥好きで、高校生まで続けていた地元の野鳥に関する夏休みの自由研究の成果をもとにAC入試で生物学類へ入学しました。学類1~2年頃は、授業やレポートで割と手一杯で(実験で最後まで残る常連組だからいけないのですが)、研究からは離れていたものの、授業のない日は、掲示板で見つけた標本整理や研究補助のアルバイトでつくば市内の研究所へ通い、友達にも「研究者になるタイプだよね~」と言われる方でした。しかし内心では、研究者になって論文を書いても結局自己満足なんじゃないか?進学せず就職した方が環境保全とか社会に役立つ仕事がすぐできるんじゃないか?といった気持ちもあって、キャリアデザインの授業で他学類の学生と議論したりしたのを覚えています。

とはいえ卒研の研究室は選ばないといけないので、学類3年頃は、様々な実験実習で(打上げも良い機会)興味のある分野の先生や研究室の雰囲気を探っていました。次第に自分の気持ちも、研究するならやはり生態学、それも鳥を通して、その棲む場所や食べ物といった環境をみたいと固まってきました。そこで大問題だったのが、鳥で卒研ができるのは動物生態の徳永研でやっているサギ類しかなく(生物学類が扱う背骨のある大型動物はこれだけ!)、その徳永幸彦先生といえば、授業は面白いけどぶっ飛んでいて私なんか全然ついて行けなかったのに、やっていけるのか?ということ。結局は徳永先生に良いように丸め込まれ、鷺師修行を始めることになりました。

研究室生活

私が徳永研に入った頃は学類・院生で20人前後の大所帯で、サギ類だけでなくマルハナバチ、マメゾウムシと寄生蜂、はたまたコンピュータ上での人工生命と研究対象は多岐に渡っていました。ゼミではフィールドワークから室内実験、数理モデルまで、様々なテーマが飛び交い、何を明らかにしたくてやるのか、どうやって調べて、結果からどこまで言えるのか、論理展開の組み立て方についても妥協ない議論がバチバチと繰り広げられていて衝撃でした。私の卒論も、先生、先輩方との議論を経て、手間をかけて集めた野外データの半分程度は使わずにまとめることになり、「研究とはstory作り。ひとつの発表に話題はひとつ」という原則を教わりました。

何とか卒研を終え、やはり研究は楽しいと感じた一方で、解析は先輩頼みだったしどうしよう、と不安も抱えながら修士になると、困ったことに、徳永先生の授業のTAが私に一手に降ってきました。生物学類の情報コース新設に向けて当時始まった、サテ室でのプログラミングや統計の授業です。UNIXコマンドもRもRubyも数式もさっぱりな私に、逃げられなくすればやる奴出来るようになる周りにimpactがある、と徳永先生が見込んでの作戦だったというのは後から聞きましたが、おかげでそれなりに扱えるようになり、その後の研究生活に欠かせない基礎体力をつけることができました。次第に、研究室のPCやサーバ(徳永研には色々あるのです)、WEB管理もすることになり、いわゆる“面倒な雑用”を担ったことで得られた技量はまた財産になりました。

私でも多少やっていけるかなと思えるようになってからも、当時の一貫制という課程もあってエスカレーター式に来たけどいいのか?私のしたいことは何?とわからなくなって、立ち止まった時期もありました。それでも、野外でサギたちを見ていると沸々としてきたのは、この長期データを途切らせず世に出していきたいという思いでした。徳永研では、1980年代の徳永先生ご自身の卒論時代から、茨城県南部周辺におけるサギ類の集団繁殖地(コロニー)やねぐらの調査が継続されている一方で、成果としては代々の先輩方の卒論・修論や学会発表に留まっていたのです。地元のサギ類動態について、世界の研究者がアクセスできる“生きた” 状態にする!との情熱に突き動かされた茨城出身の私は、子供の頃にお世話になっていた野鳥の会の方からのサギ情報も追加して長期データを編纂、論文化し、学位と「鷺師皆伝」をいただくことができました。

振り返ってみて&院生の皆さんへ

考えてみると、私は何かを「やりたい!」よりも、むしろ「やらなきゃいけない!」をエネルギーに進んできたような気がします。ネガティブにも聞こえますが(事実、受け身で始まることもありますし)、誰もやらないけれど価値ある(はずの)ことを見出して取り組む、といった、ちょっとした使命感のような感じです。社会に出てからも、私に求められていることは?と問いかけながら、研究機関、民間会社、行政と立場を変えつつ経験を積んで生かそうとしているところです。そして、サギ類の調査研究はライフワークとして、今もコツコツと続けています(後輩募集中!)。

大学院に行くか、修士で出るか博士まで進むかは、年頃の年代に、その後を大いに左右しうる選択で迷うこともあると思いますが(私もたまには、あのとき院試を受けずに就活していればもっと人並みの人生を楽しんでいたかも!と思うことだってあります)、大学院のそれなりに長い時間と多大なエネルギーを費やして得られるものが、将来の力になることは間違いないと思います。最後に、徳永先生が言われた(おそらく今も言っている)ことの中から、特に大事だと思う3つを記して終わりたいと思います。

●人と違うことをしろ!

色々な場面で通じることですが、例えば学会発表です。似たようなレイアウトや文字がびっしりなポスターが並んでいる会場、退屈に感じませんか?私が学会へ出入りするようになった修士1年のとき、鉛筆書きの私の発表ポスター原案を見た徳永先生は「このまま手描きでやればいいじゃん!」と言い放ちました。はぁ~!?と思いましたが、以来、手描きポスター発表を積み上げてきた結果、海外での学会でも「あ、あなたの手描きポスター覚えてる!」と声をかけられるようになって驚いています(*1)。

*1: 40th Annual Meeting of the Waterbird So- ciety, NC, USA (2016)

●アホになれ!

これは、本気で(知的に)遊べ!との意図だと言ったらよいでしょうか(時折学生を戸惑わせる、徳永先生的ぶっ飛んだ日本語のひとつなので、意味不明と思ったら解説を求めた方がいいです)。サギ類の個体数調査ではラジコンでの空撮をしているのですが、機体の調整と練習で先輩と虹の広場へ向かう途中、学類の某先生に「遊んでるようにしか見えない!…(笑)」と素直に言われたことがありました。こっちは切羽詰まって本気なんだけど!とその時はムッとしたものですが、アホとは、そういうフェーズなんだろうと思います。失敗して凹んだり(操縦ミスして機体を壊したりもしました)、そんなことやって何になる?と言う人もいたとしても、アホになって本気で向き合っていけば自分に不向きだったことも次第に身についたり、どこかで見ていて応援してくれる人ができたりと、時間はかかっても収穫があるはずです。

●Speak out!

発信しなれば、無いのと同じ。研究の世界で論文等の成果発表が求められるのはもちろんですが、何かつまずいた、自分は何がしたいんだろう、研究室行きたくない!といったときに誰かにちょっとでも吐き出すことはとても大切です。私は折に触れて、総合A棟の専攻事務の方に話を聞いていただいて本当に助かっていました。自分でよく考えるのも大事。次はそのままにせず、自分から外へ出して話しましょう。研究はひとりでできるものではありません。