卒業生の声

社会で活躍されている卒業生・修了生の活動を紹介します。

No.16 宮本 新吾 MIYAMOTO Shingo
外務省 南東アジア第二課長



生物科学研究科

経歴

1989年 筑波大学第二学群生物学類 卒業
1991 筑波大学生物科学研究科 理学修士(生物学)
1994 外務省入省
1999 スタンフォード大学 国際関係学 文学修士(国際関係学)
1999年~2002年 日本政府国際連合代表部
2002年~2006年 外務省北米第一課
2006年〜2009年 外務省安全保障政策課(兼海上安全保障政策室)
2009年〜2012年 在インドネシア日本大使館
2012年〜2015年 在アメリカ合衆国日本大使館
2015年〜2017年 外務省国際安全・治安対策協力室長
2017年〜現在 外務省南東アジア第二課長

その日、私は、マレーシアのクアラルンプールにあるマレーシア日本国際工科院(Malaysia-Japan International Institute of Technology:MJIIT)のキャンパスを訪問していました。日本の支援によりマレーシアで日本式の技術教育を行うために設立された同校を、今後どのように支えて行くか。その方策を検討する上で、外務省の担当課長として是非一度MJIITの教育現場を見ておきたいと考えたためです。初めて訪問したMJIITの会議室で、ずらりと並んで私を迎えてくれた教授陣。その中に、懐かしい顔を見つけた私は、嬉しくて思わずニヤリとしました。それは、筑波大学第二学群生物学類の同級生として一緒に机を並べて学んだ岩本浩二博士だったのです。彼は、環境グリーン工学科の准教授として筑波大学からMJIITに派遣されていたのです。学生生活を終えたのち、外交官の道を歩んだ私と、研究者の道を歩んだ岩本博士の約25年ぶりの再会でした。そんな二人が、遠く離れたマレーシアの地で再会し、共に仕事をすることになるなんて、とても不思議な、そして嬉しい偶然でした。

私は、筑波大学の博士課程に所属して水圏微生物生態学を学んでいましたが、ちょっとした挫折を経験し、博士号を取得することなく国家公務員試験(水産職)を受験して外務省に入省しました。公務員になる時には、各地にある国立の水産研究所に就職して研究者としての道に進むことも真剣に考えましたが、採用面接で出会った外務省の先輩の目がキラキラと輝いているのを見て、魅力的な職場だと感じ外交官になることを選択しました。それまで学んだこともなく、土地勘もない、まったく新しい世界に飛び込むことを決めた27歳の春でした。

その後、私は日本の外交官として、数多くの経験を積んで来ました。9/11テロ直後のニューヨークで、国連安保理決議の交渉に加わったり、タリバーン政権が崩壊した直後のアフガニスタンへの支援策を検討するために同国を訪問したりもしました。防弾チョッキを着込んで多国籍軍の輸送機でアフガニスタンの各地を訪問したのも今では懐かしい思い出です。イラクに派遣されていた自衛隊の撤収・帰国のタイミングを交渉するために、毎月のようにロンドンを訪問してアメリカ、イギリス、オーストラリアの軍人や外交官と交渉をしていた時期もありました。2009年からは、東南アジアの大国であるインドネシアに駐在し、同国の言語と文化を学び、日本とインドネシアの外交関係を橋渡しする役割を果たしました。日本で東日本大震災・津波災害が発生した時には、私は遠く離れたジャカルタの地で、来る日も来る日も、インドネシア政府からの支援物資を受け取り、東北各地の避難所に届ける仕事をしていました。インドネシアの人々の優しさに触れ、日本の被災地を想い、毎日涙を流しながら必死で働いていました。TPP協定交渉への日本の参加から同協定の交渉妥結に至るまでの4年間は、アメリカ合衆国のワシントンDCに駐在し、米国政府との間で自動車貿易やその他の分野での非関税障壁に関する交渉を行っていました。現在は、インドネシア、シンガポール、東チモール、フィリピン、ブルネイ、マレーシアを担当する課長として、日本と東南アジア諸国の間を行き来する日々を過ごしています。外務省という職場の特徴は、数年に一度の頻度で任地や任務の内容がガラリと変わることだと思います。そのためか、私は常に新たな挑戦を与えられ続けており、退屈だと感じたことがありません。

生物学を学んでいたことで、現在の仕事に役立つことがあるかと聞かれることがあります。それに対する私の答えは「否」です。しかし、実のところ、まったく役に立たないという訳でもないのです。例えば、国際漁業機関でマグロの漁獲枠を交渉するときに、その基礎となるマグロの資源量推定のための個体群数値モデルが理解できる外交官は他にあまりいないと思いますし、北朝鮮のウラン濃縮施設で使われる遠心分離器の仕組みが理解できる外交官もあまりいないのではないかと思うのです。ただ、今の私の仕事では、こうした事柄を理解する能力よりも、交渉相手との間で信頼関係を構築し、日本の利益を確保しながら、合意形成をはかる能力の方がよっぽど求められています。自らが駐在する国の言葉や文化を身につけ、地元に溶け込む能力もとても大切です。危機的な状況下に置かれ、高度なストレスを受けつつも、パニックせず、瞬時に的確な判断をする能力も必要です。私は、こうした能力は、学生時代に何を学んでいたかではなく、より基本的な「人間力」のようなものに依存していると思うのです。筑波大学で学んだ生物学とはずいぶん異なる分野に進んだ私ですが、私の人格の一部を形成する「人間力」ともいうべき部分は、学部と大学院とを合わせて9年の年月を過ごした筑波大学の、学際的かつ国際的な雰囲気の下で形成されたものであることは、疑いの余地が無いと思っています。

人生は一度だけの旅路です。その長い旅の間には何が起こるか解りません。私の場合、元々は生物学者を志していたのに、結果として、日本語と英語とインドネシア語を駆使して世界を駆け回る羽目になりました。学生時代には想像すらしなかった展開です。こうした自らの経験から、私は、筑波大学で学ぶ皆さんには、自らが求める学問を深めることに加え、様々な状況の変化に対応するために必要な柔軟な思考力や感受性をも磨いていただくと良いのではないかと考える次第です。

さて、25年ぶりに再会した岩本博士と我が母校筑波大学。私が担当するマレーシアで、彼らと共にこれからどんな冒険をすることになるのか。楽しみです!