
- No.01 藤原 義弘 (FUJIWARA Yoshihiro)
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国立研究開発法人 海洋研究開発機構(JAMSTEC)
海洋生物多様性研究分野 分野長代理
広島大学大学院 生物圏科学研究科 客員教授
東京海洋大学大学院 海洋科学技術研究科 客員教授
環境科学研究科
経歴
1991年 | 筑波大学第二学群生物学類 卒業 |
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1993年 | 筑波大学大学院環境科学研究科 修了 |
1993年〜 | 海洋研究開発機構(旧 海洋科学技術センター) |
2001年 | 博士(理学)(筑波大学) |
相模湾に潜航中
生物学類に所属していた学生時代は、とにかく海に潜ることしか考えていませんでした。たまたま新歓のころ、クラスの先輩に誘われて入った「海洋研究会」でスキン・ダイビングを始め、海中世界の素晴らしさに魅了されました。潜るためにバイトをし、小笠原や沖縄、さらにはパラオやポナペといった海外にまで足を伸ばして、ひたすら海の生きものを追いかける日々を過ごしました。卒論から修士にかけては、魚類の性決定に関する研究を行いました。当時、学類内には魚類を研究対象としている研究室はほとんどありませんでした。でも平林民雄先生の研究室で盛んに行われていた「タンパク質の二次元電気泳動法」という技術を用いれば魚類の性決定のメカニズムを解明できるのではないかと思い、平林研究室の門戸を叩きました。ニワトリの発生学が専門の平林研に赴き「ニワトリにはあまり興味がないけれど、先生の研究手法には大変興味があるので在籍させて欲しい」と、いまから考えれば誠に不躾なお願いをしたにも関わらず、「1人ぐらい異分子が混ざっていた方が面白いから」と快く私の在籍を引き受けてくださいました。この時に「自分のやりたい研究」を行う機会を頂くことができなければ、いまの自分は存在しないだろうと思います。
修士課程では下田臨海実験センターにも大変お世話になりました。卒論から続けてきた淡水魚ではサイズが小さすぎて思うように研究が進められなくなったので、修士課程を半分以上終えた2年目になって、研究材料を変えなければなりませんでした。よりサイズの大きな魚を求めて行き着いたのが性転換する海水魚でした。この研究材料を効率的に採集するために、臨海実験センターの技官の皆さまに「潜り釣り」という手法を編み出して頂きました。「潜り釣り」とは素潜りで行う釣りのことで、釣竿を携えて水中に潜り、狙った魚の近くに餌を落としてヒットを待つ、というスタイルです。「潜り釣り」によって数多くの魚を短期間で採集し、何とか無事に修論を終え、投稿論文にまとめることができたのも、お世話になった多くの皆さまのお陰です。
研究を生業にして生きていくためには博士課程後期に進学するのが常道だと思います。しかし、私はこのまま大学での研究を進めるべきかどうか迷った末、社会に出ることを選択しました。博士課程後期で研究に邁進されていた諸先輩方の知識や努力を目の当たりにするにつれ、自分は全く博士を目指すレベルに達していないと思ったからです。しかしながら高まる海への興味は抑えられず、海洋科学技術センター(現:国立研究開発法人海洋研究開発機構(JAMSTEC))に就職しました。ここの売りは世界に名だたる深海調査技術です。当時は「しんかい2000」(2002年に運用停止)、「しんかい6500」(現在も運用中)という2隻の有人潜水調査船が活躍中で、深海に門戸を開いた唯一の研究機関でした。
就職直後から現在まで二十年以上にわたり、深海生物を対象とした研究に従事しています。職場では理解のある上司にも恵まれ、修士課程を修了してから8年後、学生時代の恩師である平林先生のご指導の下、深海生物と微生物との共生に関する研究で博士号を頂きました。現在は深海域のトップ・プレデター(頂点捕食者)に関する研究に従事しています。深海生態系の頂点に君臨するのは一体誰なのか、またそれらは生態系の機能と多様性の維持にどのような役割を果たしているのかについて研究を進めています。
海との出逢いに始まり、いまの私に繋がる多くの要素は筑波大時代に育まれました。なかでも特に重要だったのは自分が目指すべき「究極のゴール」を見つけられたことでしょうか(それについてはここでは敢えてお話し致しません)。筑波大学にはそのようなゴールにつながるヒントがあちらこちらに転がっています。この大学に学ぶ皆さまもそれぞれの「ゴール」を見つけ出し、誰にも到達できない自分ならではの頂を目指して欲しいと思います。