山岳科学学位プログラム

お知らせ一覧

1.「森の木の肉親捜し」津村義彦

 DNAを用いて森林を調査するとこれまで見えなかったことが分かります。例えば小さな苗のDNAを調べるとその両親を森の中から捜し出すことができます。これは人で行われている犯罪捜査や父親鑑定などのDNA解析技術と全く同じことで、樹木を含む植物でも同様のことができるようになりました。森の多くの木々の中から苗の父親と母親を捜すことが可能です(図)。そのため花粉がどれくらいの距離を運ばれていて、種子がどの範囲まで飛散しているかの調査が可能となっています。これらを調べることによって健全な森林を維持するためにはどの程度の個体数や密度が必要かどうかを明らかにできます。特に稀少種や個体密度の低い種には重要な研究となります。

図:「森の木の肉親捜し」

2.「越えられなかった秩父の深山」津田吉晃

 秩父山地は埼玉県、山梨県、長野県との県境をなす急峻な山々が連なります。関東近郊の方にはアクセスもしやすく、馴染みのある地域ではないかと思います。私は学生の頃、秩父山地に調査で足繫く通ううちに、"木はあの山の稜線を超えられるのだろうか"と思いました。そこで白樺の仲間のウダイカンバという樹種(あまり知られていませんが材価の高い広葉樹です)を対象に、秩父山地の各地点で採取したウダイカンバ集団間の遺伝的類似性と山岳地系の関係について、ウダイカンバのDNAを調べてみました(樹木のDNAについては"山を知る、調べる#1"を参照下さい)。その結果、秩父山地の2000m級の急峻な稜線は、ウダイカンバの花粉あるいは種子が風に乗って飛ばされる際に、稜線があるが故に向こう側に飛べない、すなわち障壁となっていることがわかりました。因みにヨーロッパでは最終氷期最盛期(一番最近の氷河期:約2.1万年前)が終わった後に樹木がイタリア半島からアルプス超えをして北上したかが、以前から議論されていました。ヨーロッパブナなどでは最近の古生態学、遺伝学的研究から、アルプスを直登して稜線は越えなかったが、横から低い標高域に沿って迂回するようにアルプスを越えたことがわかってきました。山岳の稜線は人間社会でも国境、県境になりますが、これは樹木にとっても同じなのかもしれませんね。

写真:秩父山の山並み①
写真:秩父山の山並み①  写真:秩父山の山並み②
写真:秩父山の山並み②

多隣のブースで菅平高原実験所での研究を紹介する平尾章助教。

左図A:秩父山地で採取したウダイカンバ17集団の位置。
遺伝解析から、大きく○、☆、★の3グループが検出されました。破線は1500m級の稜線を、太線は2000m級の稜線を示します。
右図B:集団の空間分割を用いた解析から、集団間の遺伝的障壁を調べたところ、○グループ(埼玉県側)、☆(西沢集団)、★(金山沢集団)の間に遺伝的障壁が検出されました(太線)。
これは左図Aで示した2000m級の稜線の位置とよく一致していました。

参考文献

Tsuda Y, Sawada H, Ohsawa T, Nishikawa H, Ide Y (2010) Landscape genetic structure of Betula maximowicziana in the Chichibu mountain range, central Japan. Tree Genetics and Genomes, 6, 377–387.

Magri D, Vendramin GG, Comps B, Dupanloup I, Geburek T, Gömöry D, Latałowa M, Litt T, Paule L, Roure JM, Tantau I, van der Knaap WO, Petit RJ, de Beaulieu JL (2006) A new scenario for the Quaternary history of European beech populations:palaeobotanical evidence and genetic consequences. New Phytologist 171:199–221

3.「枯死木編」廣田充

 日本の山々の大部分は森林に覆われています。森林には様々な役割や働きがあり、それらは山の恵みというかたちで私たちが認識できるものもありますが、重要な働きや役割なのだけど認識しにくいものもたくさんあります。山を知る・調べるうえで、それらを後生が利用できるような形で正しく記述することが重要だと考えています。
 今回紹介するのは、枯死した木、枯死木の調査方法です。森林というと緑豊かな生木を想像されるかもしれませんが、枯死木も森林の重要な要素の一つです。地味にみえる枯死木にも昆虫や菌類等の生育の場のほかに、森林内の水や物質の流れを変える機能や炭素の長期隔離機能があるため、枯死木に関する研究は少なくありません。しかし、難しいのはその調べ方です。枯死木には、立ち枯れ木、森林内に転がっている倒木、或いは土壌中にある枯死木など多様な存在形態がありますし、腐朽程度も様々です。このような枯死木を調べる方法として最も正確なのは、森林内を歩き回り、すべての枯死木の大きさ、重さ、種類、腐朽程度等を記述するという非常に原始的な方法です(写真)。レーダー等を用いた観測も期待できますが、現状では"足で稼ぎ、目で確認する"方法に勝るものはありません。
 "山を知る"ためには、先に紹介されているDNA情報を駆使したハイテクな研究からこのようなローテクな研究も大切です。

写真:枯死木の調査風景とデータの一部(三宅島噴火跡地での調査のようす)
写真:枯死木の調査風景とデータの一部(三宅島噴火跡地での調査のようす)

参考文献

廣田充(2017)噴火跡地の枯死木をはかる,森林科学, vol.79、p38-39.

4.「写真測量で積雪深を探る」池田敦

 日本の多くの山が、冬季は雪に覆われます。雪は風上から吹き払われ、風下に吹きだまるため、とくに森林限界を越えた場所では、稜線を挟んで非対称な景観をみることができます。例えば、吹きだまった雪が遅くまで残るところでは、周囲とは異なる草地や裸地になっていたりします。また、日本アルプスでは、数万年前の氷河期に、雪がたまりやすい東向きに氷河がよく発達した結果、現在、その氷河がつくったお椀状の地形(カール)が並んでいます。
 ここで紹介する研究では、氷河よりもずっと小さなスケールですが、吹きだまった雪が急斜面をずるずると滑って、地面をところどころ今も削っている様子を調べています。調べている学生は、つくばから足繁く上越国境に通って山に登ります(写真1)。まず雪がどこにどれくらい積もっているのかを知りたいのですが、対象地は、雪が深くて測深棒が役に立たない、しかも時期によっては雪崩の危険があって入れない場所にあります。そこでドローンからの空撮写真を用いて測量しました(図1)。測量によって明らかにした雪面の標高から、無雪期の標高を差し引くと雪の深さがわかります(図2)。実際に地面がどれくらい削られたのかを調べる方法の一つも、同じにように、異なる時期に写真測量を実施して、それぞれの地表面の高さの差を取ることです。ただ、こちらは数cm単位で高さの変化を知るために、上空からではなく、長い棒の先に付けたカメラで画像を撮っています。
 こうした写真測量手法を活用すると、何気なく見ていると同じように見える山の景色が、実はあちこちで変化していることを詳しく知ることができます。

写真1:調査地へ向かう3月末の登山
写真1:調査地へ向かう3月末の登山

図1:写真測量によってつくった3D画像
図1:写真測量によってつくった3D画像

図2:調査地の4月末の積雪深。黒線で囲った部分が積雪に侵食されてできた裸地。
図2:調査地の4月末の積雪深。黒線で囲った部分が積雪に侵食されてできた裸地。

5.「森を分類する」上條隆志

 植生とは、森林や草原など植物の面的な広がりのこと指します。この植生を単位性のあるまとまりとして捉えたものが群落です。例としては、ブナ林、ススキ草原などがあります。これらは、量的に最も多い植物、すなわち優占種を基に名前が付けられています。植物の種には学名がありますが、森林を含めた群落にも学名とそれを命名する学問分野があります。植物社会学は植生の分類学に相当する学問であり、種に相当するものを群集(association)と呼びます。この群集は、種の組み合わせ(種組成)に基づいて分類されます。たとえば、ブナ-シラキ群集というのは、シラキを伴ったブナ林という意味になり、シロモジなどが特徴的出現します。このブナ-シラキ群集は、九州、四国、紀伊半島というブナ林としては南限地域に分布します。種の分類と同様に属や科に相当する単位があり、群団、オーダーとそれぞれ呼ばれます。下記は日本のブナ林の全5群集と全2群団を示したものとなります。これらは地理的に分布が分かれており、特に2群団に着目すると、多雪地の日本海側にブナ群団、寡雪地の太平洋側にブナ-スズタケ群団が分布し、気候条件と地理的分布が見事に対応しています(図)。種組成に基づいて森を分類することで、森だけでなく、森と気候、森と立地との関係も具体的に認識できるようになるのです。

  • Sasamorpha-Fagion crenatae (Miyawaki, Ohba et Murase, 1964)
    (ブナ-スズタケ群団)
    • Sapio japonica-Fagetum crenatae (Sasaki, Yo, 1970)
      (ブナ-シラキ群集)
    • Corno-Fagetum crenatae (Miyawaki, Ohba et Murase, 1964)
      (ブナ-ヤマボウシ群集)
    • Sasamorpha-Fagetum crenatae (Suz.-Tok., 1949)
      (ブナ-スズタケ群集)
  • Fagion crenatae (Suz.-Tok., 1952)
    (ブナ群団)
    • Lindero umbellatae-Fagetum crenatae (Horikawa et Sasaki, 1959)
      (ブナ-クロモジ群集)
    • Saso kuriensis-Fagetum crenatae (Suz.-Tok., 1949)
      (ブナ-チシマザサ群集)

注:「福嶋司ほか(1995)日本のブナ林群落の植物社会学的新体系.日本生態学会誌 45巻」、「福島司(編著)(2017)図説日本の植生第2版.朝倉書店」を基に作成した。

図:ブナ-スズタケ群団とブナ群団の分布
図:ブナ-スズタケ群団とブナ群団の分布.「福嶋司ほか(1995)日本のブナ林群落の植物社会学的新体系.日本生態学会誌 45巻」、「福島司(編著)(2017)図説 日本の植生 第2版.朝倉書店」を基に一部修正し作成した。

6.「山の森の動きをみる」清野達之

 日本に限らず、多くの山岳域では森林が発達しています。山の森を構成する樹種は場所ごとに異なります。日本の中部山岳域だけでも、幅広い標高帯や斜面の地形、火山由来なのか否かというように、その成り立ちの歴史や特徴も多面にわたります。立地環境に応じて、そこに生育する樹木種や森林の高さなどの構造も変わります。その変化が何によって生じるのかを解き明かすことで、その山岳域の森林の特徴を掴むことができます。それには多くの場所での比較が肝要です。筑波大学山岳科学センターとその周囲の森林は、これを解き明かすには適した場所です。森林内に固定試験地(プロットといいます)を設定し、樹木の高さや幹の太さを測定し、数年に一度はどの程度成長したのか、いつ枯死してしまったのか、という情報を測定していきます。測定そのものはかなり単純で地味な作業です。しかし、長い期間で積み重ねた測定データからでしか森林の動きを観ることはできません。また、場所ごとの特徴を観るには多くの場所での観測が必要です。動かざること山の如しとの言葉もありますが、人間の目には一見分からない山と森の動きを観ています。

写真1:筑波大学MSC井川演習林に設置したプロットの様子。
写真1:筑波大学MSC井川演習林に設置したプロットの様子。
番号による個体識別を行ない、幹の周囲長を測定した場所に赤スプレーで標識し、同じ場所での成長追跡に備える。

写真2:「山」も「森」も激しく動く静岡市井川地区の山と森、そして樹木。井川周辺に多い崩壊地とそこに定着・成長した樹木。
写真2:「山」も「森」も激しく動く静岡市井川地区の山と森、そして樹木。
井川周辺に多い崩壊地とそこに定着・成長した樹木。

7.「山岳域の天候変動を探る」上野健一

 山の天候を理解するには、まず"大気の運動"を調べる必要があります。そのためには、物理的思考と計算機によるデータ処理の技術が不可欠です。気象学はかなり確立された学問で、最近は解りやすく面白い教科書が沢山出版されています。是非、一冊購入して、"基礎"を勉強してみましょう。数式が沢山出てきますが、英語と同じで慣れることが重要、最初は理解できなくても良いのです。"山岳気象"というと、もっぱら山登りの人のための天気予報解説が主な印象です。しかし、水資源、スポーツ、観光、山火事、出水や土砂崩れ・雪崩といった災害など、山岳域の天候変動が及ぶ影響範囲は非常に広く、山で育まれる生態系や私たちの生活・経済活動に密接に関係しています。"どう影響するか"を調べるために必要なデータは、実は山のように蓄積されています。しかし、一部の専門家しか活用していないのは大変残念ですね。それらを自前で観測する機会も減っています。学位プログラムでは山岳気象を担当しますが、山岳研究にとって重要な大気科学とは何かを、皆さんと一緒に真面目に考えていきたいと思っています。

写真:八ヶ岳を背景とした気象観測
写真:八ヶ岳を背景とした気象観測

8.「南アルプスで地形変化を観測する」松岡憲知

 南アルプスは日本列島でもっとも動きの激しい山岳地域です。隆起量も最大ならば、侵食量も膨大で、急斜面では落石・崩壊・土石流が毎年発生し、その土砂を河川が周囲の平野や盆地に排出しています。地形変化が起こった地点や変化量については、航空機やドローンにレーザスキャナやカメラを搭載して観測することで、精密に調べることができます。一方、「地形変化の原因」を理解し、「今後、どこでどんな変化が起こるか」を予測するためには、現地に設置した各種の観測機器によって気象要素や地盤状況の時々刻々の変化を記録して、地形変化発生に至る物理的条件を解読する必要があります。

写真1:南アルプスの主稜線(塩見~北岳、奥に仙丈・甲斐駒・鳳凰)
写真1:南アルプスの主稜線(塩見~北岳、奥に仙丈・甲斐駒・鳳凰)。
山腹に崩壊地や侵食谷が刻まれ、大井川(手前)に土砂が流れ込んでいる。

 今回は、長年にわたり、南アルプスの高所で続けている落石観測について紹介します。岩壁から落石が発生する前兆をとらえるために、岩の割れ目に取りつけた亀裂変位計を割れ目の開きを測るとともに、岩の温度や含水率を1~3時間間隔で記録します。岩壁から少し離れた固定点からは、1日に1回~数回、自動カメラによって岩壁の状態を撮影します。毎日の画像からいつ・どこで岩が剥がれた(落石が発生した)がわかります。また、小型の気象観測装置を使って、気温・降水量・風速・気圧なども測ります。これらのデータを組み合わせることで、落石のトリガーを解読するのです。

(写真2):自動カメラで岩壁を撮影する。 (写真3):カメラの画像から特定された2014年8月から1年間の落石発生地点と時期(赤)。

左(写真2):自動カメラで岩壁を撮影する。
右(写真3):カメラの画像から特定された2014年8月から1年間の落石発生地点と時期(赤)。
紫は土砂移動の発生地点と時期を示す。

 その結果、降雨や降雪の直後に割れ目に入り込んだ水が夜間に凍って割れ目を押し広げ、翌朝に日射があたって氷が融けると岩がゆるんで落下する場合(春や晩秋)と、台風並みの豪雨の際に割れ目に侵入した水の水圧によって岩がゆるんで落下する場合(夏や初秋)が多いことがわかってきました。ただし、それ以外に発生頻度は数10年に一度と低くても、大規模な(全侵食量に占める比率が高い)落石もあります。そのため、長期にわたり観測を続けることが重要です。

(写真4):岩の割れ目の変化を測る。 (写真4):岩の割れ目の変化を測る。

写真4):岩の割れ目の変化を測る。2012年6月(左)から2016年6月(右)の間に割れ目は2mmほど広がった。
さらに、2018年には右側のブロック全体が落下し、亀裂変位計も破損した。

9.「山岳域で地域研究を行う」立花敏

 山岳科学学位プログラムでは社会科学や人文科学の分野で修士論文に取り組むこともできます。私たちは、山岳域における社会の成り立ちや住民の暮らし、地域資源の管理や利用、産業構造をはじめ様々な対象について、現地での参与観察や聞き取り調査、アンケート調査等を行って収集した資料や情報を使用し、通時的変化や多様な実態等を定性的または定量的に把握・分析します。調査対象に関する先行文献や調査報告書を丹念に学び、それぞれの仮説や研究課題に応じて調査対象地を選定し、調査の対象や項目、時期等の詳細を設計し、数日から数週間、数カ月、…という滞在の中で資料や情報を得ます(写真)。あるいは、現場での五感を使った直観力・洞察力に重きを置いて長期間滞在し、その中で仮説や研究課題を見出して資料や情報を収集し、分析するという方法もあります。  一例を示しましょう。「山村に住む親の世代は山や田畑の恵みを都市部の子供たちに送り、子供たちや孫たちが喜ぶ声を聞く/顔を見るのが嬉しくてそこに住み続ける」という仮説を持ったとします。その場合には、山や田畑の恵みの内容および送る時期や量、頻度を把握し、往来や電話でのやり取りの頻度等を山村の親世代からお話を聞き、それらの分析を通じて仮説を検証します。これまでは幾つかの集落を対象に世帯悉皆の調査を行うこともされてきました。そして、こうした調査や分析を進めるうちに山村での暮らしが地域資源と密接につながり、そのつながりにより地域資源が維持され、あるいは持続可能性が向上していることも把握されてきました。

写真:地域の生物資源を調べる
写真:地域の生物資源を調べる

 山岳科学学位プログラムにおいて、自然科学と社会科学、人文科学とを結び付けて学際的な研究を行うことも射程に入っています。学際的な研究が進むと、山岳域・社会の発展にも寄与することが期待されています。

10.「水供給の視点で山の恵みを考える」山中 勤

 「森が水を育む」という言葉を聞いたことがあるかと思いますが、実際には森は水を消費する存在でもあります。水供給の点で本質的に重要なのは森ではなく山です。標高が高く気温の低い山は、降水が多く、蒸発による損失が少ないのです。また、冬季の降雪を春~夏まで貯留する機能もあります。このため、欧米ではしばしば「山は天然の給水塔」と形容されています。しかしながら日本では、その事実は正確に理解されていません。
 水分子を構成する水素と酸素の同位体(2Hと18O)は内陸部や標高の高いところに降る雨ほど含有量が少なくなる傾向があるので、それをマップ化して水道水中の含有量と比較することで、水源の水がどのくらいの標高で降った雨によって涵養されたのかを調べることができます。長野県と山梨県について調べたところ、水道水源の約90%が標高1000 m以上で涵養されていることが分かりました(図)。面積では標高1000 m以上の土地がおよそ50%を占めますが、そこに居住する人は両県の人口のわずか2%に過ぎません。人が少ないので、廃棄物が不法に投棄されたり、また合法的に廃棄物処分場が作られたりすることも増えていますが、そこに降った雨や雪に多くの都市住民が依存しているのです。山の有り難さをもっと強く認識すべきでしょう。

図:長野・山梨両県における面積、人口、及び水道水源涵養の標高分布。
図:長野・山梨両県における面積、人口、及び水道水源涵養の標高分布。
「Yamanaka and Yamada (2017): Regional assessment of recharge elevation of tap water sources using the isoscape approach. Mountain Research and Development, 37, 198-205.」から引用(和訳)。

11.「山の宿命と、そこに適応する植物」田中健太

 山岳科学とは、何でしょうか。山の中に存在している原理や秩序を解き明かすことで、山の自然の成り立ちや変動、自然や人間に与える影響が理解できれば、それこそ山岳科学だと私は思います。山が一般的にもつ特徴を二つ挙げます(図)。

 ここで山と言っているのは頂(いただき)から麓(ふもと)までの系のことです。こう考えると、日本の陸域は全て山です。日本の自然や国土は、こうした山の特徴によって規定されていると捉えることもできます。山の特徴の一つ目は、標高によって気候や自然が劇的かつ連続的に変わることです。日本最大の中部山岳地域の麓は温帯の森です。しかし森林限界を抜けて高山帯に出れば、そこは寒帯の北極にも似た自然が広がっていて、しかもこれらの自然は短い距離の中でつながり合っています。山を上り下りすることで、温帯から北極までの極めて多様な自然に触れ、その様々な恵みを一日のうちに手に入れることもできるのです。山の特徴の二つ目は、上から下へ向かう物の流れがあることです。水や栄養分という山の恵みも、洪水や土砂という山の災いも、上から下に流れます。山の自然の連続性をうまく活かすこと、方向性のある物質移動にうまく対処することが、山の恵みを得、災いを避けるための要点になります。  ミヤマハタザオという植物(写真)は、中部山岳地域の0mから3000mまで生息地があり、どこでもきちんと実を結んで子孫を残すことができる標高万能植物です。

 一つ目の山の特徴に依れば、この標高差による生息環境の違いは大変なものです。どうしてそんなところに適応することができるのでしょうか。約30の生息地に調査地を作って何年も追跡調査し、種子を採集して栽培実験することで、その秘密が少しずつ分かって来ました。まず、どれだけ生きるのか、何回繁殖するのかという生き様(これを「生活史」と呼びます)を、標高によって変えています。低地ではほぼ一年草で、一気に成長して夏に大量の種子を播いてから死んでしまうことが多いのに対し、高地では多年草で、少しずつ成長し、何年も生きて種子を作り続けます。こうした生活史変化の少なくとも一部は遺伝的に固定されており、標高に対する進化によって獲得したようです。
 また、高地では有毛遺伝子を持っていて葉に毛が生えているのですが、低地では毛が生えていません。私達は、毛は何かしら高地で役に立つ機能をもっているものの、低地では余分なものになって不利だと考えています。さて、二つ目の山の特徴に依れば、物質は上から下に移動します。ミヤマハタザオの場合、高地の有毛遺伝子が種子にのって低地に運ばれてしまいます。そのため、高地と低地の生息地が川で結ばれていると、低地でも有毛の植物が多く混じるようになります。しかし、有毛遺伝子が壊れるという進化が、色々な川で繰り返し起きており、時間が経つとやがて無毛の植物が増えて行きます。ミヤマハタザオはこのように、二つの山の特徴に規定されながら、適応進化しているのです。

12.「陸域での成功者、昆虫類のグラウンドプランを探る」町田龍一郎

 山岳科学学位プログラムでは「節足動物学野外実習」を担当しています。全動物種の約75%を占める昆虫類を含む節足動物の系統分類、体制を学ぶ実習です。生き物の分類を学んだり体制を理解することは、「山を知る、調べる」上でも重要です。
 昆虫を繁栄に導いた大きな要因として、「翅」の存在があります。しかし、その翅が何に由来するかに関しては、長い間の論争がありました。大きく分けて二つの仮説があります。一つは「側背板起源説」、もう一つは「肢起源説」です。側背板起源説では、背板の拡張した側方部である「側背板」が翅になるという考えです。背板は体の背部にある板状の構造なので、翅が「体の背部にある板状の構造」であるというのは都合のよい仮説です。しかしこの説では、それを動かす筋肉の由来を説明できません。一方の「肢起源説」では、翅が「体の背部にある板状の構造」であることの説明には不都合ですが、肢にはそれ自体を機能させる多くの筋肉があるため、翅を動かす原動力の説明には適しています。そして最近になり、両説の折衷案として、翅は側背板と肢の両方に由来するという「二元起源説」を唱える分子発生学的研究も提唱されました。
 私たちの研究室は、最近、コオロギを材料に、翅の形成を詳細に検討しました。その結果、昆虫の翅の本体は側背板由来であるが、翅基部の関節と翅を動かす筋肉は肢に起源することを明らかにしました。昆虫の翅は、背板と肢の両者に由来するとする「二元起源説」が強く支持されることになりました。このように、昆虫は元々ある構造を変化させて新たな翅という構造を獲得したのです。

陸域での成功者、昆虫類のグラウンドプランを探る

図:フタホシコオロギの成虫(A)と、中期胚(B)、1齢幼虫(C)と成熟(11齢)幼虫(D)の中胸節~後胸節の拡大。中胸節のみ背板をピンク、肢の最基部節である亜基節をブルーで示している。矢印は背板‐肢境界(BTA)。成熟幼虫(D)で分かるように、胸部の側面を被う側板は肢の亜基節に由来する。また、翅(翅芽)本体は背板に起源する一方、翅の基部関節(点線で示した領域)は側板、つまり亜基節に由来する。また、翅の筋肉系も亜基節環節の内在筋(側板の内側にある)起源である。このように、翅システムは、「背板」と「肢の基部環節(亜基節、つまり側板)」に由来することになり、翅の「二元起源説」がつよく支持される。成虫(A)で「中胸側板」、「後胸側板」と示した領域は、肢の最基部節である亜基節に由来した側板で、その上端に背板から形成された翅本体が関節する。

13.「山岳域の炭素の流れを探るとは?」安立美奈子

 地球温暖化は近年の重要な環境問題の一つです。その主な原因は、人間活動による大気中の二酸化炭素濃度の上昇だと言われています。陸上の生態系は炭素の貯蔵庫の役割をしていて、植物や土がある森林や草原などでは、光合成と呼吸によって大気との間で二酸化炭素の交換が常に行われています(図)。この二酸化炭素の流れは、大気中の二酸化炭素の濃度、気温や降水量などの気候条件、土壌の栄養塩の条件などによって変化します。地球温暖化によって標高の高い場所で生育する植物たちは生育場所を拡大できるといわれています。一方で、土壌からの栄養供給が足りないためにうまく生長できなかったり、これまでいなかった植物が侵入してきて逆に生育環境が悪くなる、環境の変化に適応できないなど、種の存続を危ぶまれる植物もでてきます。また、地球温暖化によって土にいる微生物の活動が活発になり、土壌に蓄えられた有機炭素が分解されて二酸化炭素の放出が増え、大気中の二酸化炭素濃度の上昇を加速させ、結果として地球温暖化が進むという正のフィードバック効果も考えられます。このように、地球温暖化が山岳地域に与える影響は非常に複雑であることがわかります。植物の現存量や生長速度、光合成量、土壌へ供給される落葉・落枝量、土壌から放出される二酸化炭素量(土壌呼吸量)などを長期間に渡って観測することにより生態系内の炭素の流れが何によって影響を受けているのか、そのメカニズムを知り、植物の生き様や生態系の変化を捉えることは、生態系の役割を知る重要な手がかりになります。

山岳域の炭素の流れを探るとは?

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